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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)3233号 判決 1968年8月16日

主文

被告人を懲役六月に処する。

未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年八月一七日夜わずかに酒気を帯びた状態で大阪市港区五条通一丁目一五番地住吉神社境内の公園に至り、同公園内のブランコに腰かけて夕涼みをしていたが同日午後一〇時過ぎごろ、折から酒に酔って被告人の隣のブランコに腰かけていた真島留吉(大正一〇年二月一日生)から、酔余しつこく話しかけられて折角のひとりきりの夕涼みを邪魔されたため、同人を残してブランコから立ち上がり、その場を立ち去ろうとした際、右真島がなおも被告人を引きとめようと被告人のシャツを引っぱったためにシャツが破れここに被告人は激昂して、ブランコに腰かけている右真島の頭部、顔面等を数回殴打して同人を仰向けに昏倒させ、よって同人に対し頭部及び顔面打撲傷ならびに脳震とうの傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(殺人罪の成立を否定した理由)

本件公訴事実の要旨は、被告人が判示暴行に及び、被害者真島が昏倒したので、右犯行の発覚することを恐れ、犯跡を隠すために同人を河に投げ込んで殺害してしまおうと考え、同日午後一一時前ごろ、右真島を抱きかかえて右暴行の現場から約二〇〇メートル離れた同区五条通一丁目八番地難波津橋まで連れていき、同橋上より同人を水深約四メートルの高野堀運河に投げ込んで同人を間もなく溺死させ、もって殺害の目的を遂げたというものである。

そして、当裁判所において取調べた本件各証拠によれば、被告人が判示のように暴行に及びさらに昏倒した真島を抱きかかえ、前記難波津橋まで運び、前記時刻ごろ同人を高野堀運河に投げ込んだこと、同人が間もなく多量の溺水の吸引により窒息死したものであることは明らかである。

そこで、以上殺意の有無につき検討する。

被告人は当公判廷において、被害者真島を橋上から水中へ投棄した動機につき、自己が公園内で同人を殴打した際同人が昏倒して身動きしなくなったため、右暴行および昏倒により同人が死亡してしまったものと思い込み、大変なことになったと考え、その発覚を恐れて右真島を運河に投げ捨ててその犯跡を隠滅しようとしたものである旨供述し、真島の生存を知りながらこれを殺害すべく運河へ投げ込んだものではないとして殺意(未必の故意を含めて)を否認している。

ところが、被告人の捜査官に対する供述調書中には、殺意を認めた趣旨の供述記載もあるので、目撃者のない本件においては、被告人の本件殺意の有無の検討につき、被告人の右矛盾する供述のいずれに信憑性を認めることができるかが重点となる。

(1)  まず、検察官は水中への投棄の際被告人が真島の生存を認識していた根拠として、被告人の司法巡査に対する昭和四二年八月二二日付供述調書中の、真島を暴行現場から難波津橋まで運ぶ途中同人が自ら足を運んで歩くようにしていた旨の供述記載を挙げ、約二〇〇メートルの距離を運搬する間に被告人は十分に被害者の生存を察知したと思われる旨主張しているので、被告人の公園内における暴行によって被害者の蒙った受傷の程度ならびにその運動能力への影響等について検討する。

≪証拠省略≫によれば、被告人の殴打により、被害者は頭部に数個所の打撲傷、頤部ないし頸部の打撲傷、上口唇の打撲傷、右側頭部硬膜下に少量の出血等の傷害を受けたものと認められ、更に頭部の打撲傷はある程度軽い脳震とうを起す程度のもので、そのために若干抵抗しがたい状態になることはあり得ると認められるとされ、さらに≪証拠省略≫によれば、解剖の結果から判断して、脳震とうのため自主的運動が全く失われる時間は、短かければ瞬間的、また長ければ十数分間であったと考えられる。一方≪証拠省略≫によれば、公園での暴行現場から投棄現場までは、道のりにして約二一〇メートル余りであり、この間の道路の状況等を考慮すると、殴打後の被告人の逡巡の時間を考慮に入れても、暴行から投棄に及ぶまでの所要時間は長くて十分間、おそらく数分間程度と考えられ、失神時間内に右一連の行為が完了したことも十分考えられる。更に、失神中になんらかの反射運動があったと仮定しても、被告人が専ら犯跡の隠滅に注意を集中していた場合にはこれを察知し得ない可能性もかなり存するのであって、結局被害者の運動能力障害の点から必らずしも検察官の主張を裏づけ得ない。

(2)  又、検察官は、被害者の体重が約五〇キロであって、これを被告人の供述のような姿勢で運ぶことは困難であり、また、その場合おそらく被害者を抱えこんで引摺るようになると考えられるから、被害者の死体の足部とくにかかと、足背部に擦過傷が生じねばならないのに、被害者の死体にそのような痕跡が認められないことを挙げているが、被告人の体格、職歴等からして被害者をほぼ被告人の供述のような姿勢で運搬した可能性を否定できず、又、運搬の間被害者において裸足であったと認めるに足る証拠もなく、この間の道路の状況についても、当時公園内にバラスが敷いてあった他はおおむね平坦であって、足部に擦過傷等の傷跡の存しないことをもって被害者が自ら歩を運んだものと断ずることはできない。

(3)  次に被告人の供述内容の変遷とその理由につき検討するに、被告人は被害者を水中に投棄した後、翌八月一八日午前零時ごろ近くの派出所に出頭して自首したが、その際被告人は捜査官に対し、「公園で殴ったところ、相手が倒れてのびてしまったので死んだと思い、殺したことをわからなくするために運河まで運んで橋の上から投げ捨てた」旨供述しており、その後≪中略≫八月二二日付供述調書に至り、初めて「公園で真島が倒れた際、一時は死んだと思ったけれども、次いで息を吹き返すのではないかと思い、そうなれば同人の口から自分の仕業だとわかってしまうからこれをまぬがれるために同人を河に投げ込んで殺してしまおうと思いついた」旨、さらに「公園から運河に運ぶ途中真島も自分で歩くようにしており死んでいないことがわかったが、それを知りながら運んでいって投げ込んだ」旨の供述をしている。

そして、右供述の変遷につき、被告人は、その理由として、当公判廷において、自分は自首以来死んだと思って投棄した旨繰り返し述べたのに、取調警察官が「まだ生きていたのだから」と執拗に追求したため、いずれにしろ自分があやめたのだからしようがないと考え、警察官の問うままに話を合わせたものであると供述しているところ、一方捜査の経過を見るに被告人の自首に伴う供述に基いてまもなく真島の死体が発見、収容され、同日午前一〇時四五分から司法解剖に付され、その死因が溺死であることが判明しすでにその際立会の捜査官にもその旨が知らされたこと、また本件は被告人の供述内容の変遷にかかわらず捜査の当初から殺人被疑事件として取り扱われていたことが明らかであって、これらを考慮すれば、被告人が自首当時の供述を維持した場合、取調べ警察官において鑑定の結果による溺死という客観的事実にもとづいて、かなりの理詰めの追求がなされたであろうことは、推測にかたくないのである。(右の如き取調方法が、その調書の証拠能力を否定する理由とはならない場合もその内容の信憑性に対し、一定の影響を及ぼす場合があることは論を俟たない。)現に、証人佐々木博(被告人の当該八月二二日付自供調書の作成者である)は、当公判廷において「自首調書は頭の混乱した状態のものと考え、私は自分としての調べをした」旨述べている。以上を綜合すれば、自供変遷の理由についての被告人の当公判廷における供述には相当の信用性があるものと認められるのであって、被告人の右八月二二日付供述調書中の前掲部分は軽々に措信できないといわねばならない。

(4)  次に、≪証拠省略≫によれば、被告人は自首するに先立ち、自己の雇主方を訪ね、その息子である中野信雄に対し自らすすんで事の次第を打ち明け、同人に付き添われて自首したのであるが、その際右中野に対しても、「いま人を殴り殺して運河の中へ捨ててきた」と述べていることが認められ、右は、被告人がとくに法に精通しているわけではないことを考慮すれば、とりたてて自己の有利を期して考え出した打算による虚偽の供述であるとは認めがたく、逆に、自己の身内的存在である人に対する事件直後における供述として、その内容はかなり信憑性の高いものと考えられる。

(5)  加えて、当該同年八月二二日付自供調書中に記載される水中への投棄を決意するに至った動機は、要するに数回の殴打によって一時的に失神させたという犯行を隠す目的のために相手の生命を奪うことを新たに決意したということであり、行為者にかなりの悪性ないし狂暴性が存することを前提とするものと考えられるところ、被告人のこれまでの生活歴ならびに生活態度を合せ考慮するときは、水中への投棄の動機については、むしろ予想外の被害者の死亡という重大な結果を隠すためであるという被告人の当公判廷における(ならびに自首に際しての)供述の方に、より合理性が認められるのであって、このことは投棄行為後被告人が間もなく冷静に帰ってすみやかに自首している事実に、より符合するものである。

以上の諸点を綜合すれば、結局判示暴行後被告人が真島を運河に投棄した点については、自己の暴行により右真島が昏倒して身動きしなくなったために、被告人がこれを死亡したものと誤信し、その犯跡を隠滅するために同人を運河まで運んで水中に投棄したものと認めるのが相当であり、結局被告人が水中への投棄の際真島の生存を認識(未必的なものも含めて)していたとの点は証明がないことに帰し、したがって殺人罪の成立は認められない。

(傷害致死罪の成立を認めない理由)

当裁判所の認定した事実は、被告人が判示暴行に及び、被害者を昏倒させ、このため被害者が身動きしなくなったのを見て、客観的には単なる一時的失神状態であったにもかかわらず、これを死亡させてしまったものと誤信し、事の重大さを思いその犯跡を隠滅すべく死体遺棄の故意で被害者を橋上から運河に投棄し、その結果被害者が多量の溺水の吸引により窒息死(溺死)したというものである。そこで、一応傷害致死罪の成否が問題となるのでこの点につき検討する。

被告人の判示暴行(殴打行為)がその後の死体遺棄の故意にもとづく水中への投棄行為を誘発したものであり、その意味で暴行行為と投棄行為の両者が相合して溺死を導いたことは明らかであるから、まず、その両者を合せて、傷害致死罪の実行行為とみることができるか否かを検討するに、刑法上の行為概念が、単なる挙動もしくは行動ではなく構成要件的故意にもとづくことを要件とするものである以上、本件死体遺棄の故意にもとづく行為は、あくまでその構成要件的故意に照応するかぎりでの行為と評価し得る(すなわち死体遺棄罪の未遂類型が存すれば、その成否が問題となる)にとどまり、傷害致死罪における因果の流れの起点たる実行行為の一部とみなすことはできない。すなわち、本件においては、傷害致死罪の成否については、あくまで殴打行為が死の結果に向う因果の流れの起点たりうるにとどまり、投棄行為そのものは、その因果の流れの内容を成すものとして、すなわち具体的には、殴打行為と死の結果との間に介在した一事実として、その介在あるもなお殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係(相当因果関係)の存在を肯定し得るか否かの判断の対象となるのである。

そこで、すすんで被告人の本件殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係を肯定し得るか否かにつき判断するに、まず、右殴打行為自体をその後の現実の因果の流れと切り離して考察し、右殴打行為自体その態様、程度の点からみて、死の結果を招来することが社会通念上相当程度あり得ると認められるならば、その後の現実の因果の流れの如何によって結果の発生がその蓋然性を増し、あるいは促進されたとしても、なお右殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係の存在を肯定すべきであるところ、≪証拠省略≫によれば、被告人の殴打行為にもとづく被害者の受傷の程度は、長くて十数分間の失神状態を伴うことはあるけれどもその生命に別条を来たすことは考えられない程度のものであって(受傷時被害者がある程度酒に酔っていたことは認められるが、この点も右に影響するものではなく、他にさしたる異常な状態もない)、さらに、入水後溺死に至るまでに被害者が通常人と同程度の溺水を吸引していることを考え合せれば、死の結果との間に刑法上の因果関係の存在を肯定し得る程度の暴行が加えられたものとみることはできない。次に、然りとするも、右殴打行為と死の結果との間に本件投棄行為の介在したことが、社会通念上相当程度にあり得るものと考えられるならば、なお本件殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係の存在を認めるべきであるから、その点につき検討するに、本件程度の殴打行為により被害者が短時間の失神状態に陥ることは往々にしてあり得るけれども、これを殴打行為者又は第三者が、死亡したものと誤信し、右誤信にもとづき犯跡隠滅もしくはその他の目的により死体遺棄の故意で水中に投棄することが社会通念上相当程度にあり得るものとは到底いえないから、この点からしても本件殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係の存在を肯定することはできない。

以上により傷害致死罪の成立は認められない。

なお、死体遺棄の故意にもとづく本件投棄行為そのものの評価については、死体遺棄罪の未遂を罰する規定は存しないが、なお重過失致死罪又は過失致死罪の成否が問題となることは勿論である。

しかしながら、本件において被告人の投棄行為につき過失致死罪又は重過失致死罪の成否を問題にするには訴因の変更を必要とすると解すべきところ、当裁判所の第七回公判における求釈明に対し、検察官は訴因の変更(予備的にもせよ)の意思なしと釈明し、更に、第八回公判において、当裁判所が傷害罪と過失致死罪もしくは重過失致死罪とに訴因を予備的に追加するよう勧告したのに対してもこれに応ずる意思なしと応答しているのであるから、これを問題とする余地はないものと言わねばならない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ所定刑中懲役刑を選択し、右は自首にかかるから刑法四二条一項、六九条三号により法律上の減軽をし、犯行に至る経緯、態様、程度の他、被告人がこれまで何らの前科、前歴なく総じて真面目な勤労生活を送ってきたこと、未決勾留がかなり長期に及びその間反省の色が顕著であること等諸般の情状を考慮し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分をその刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判官 川上美明 二宮征治 裁判長裁判官古川実は差支えのため署名押印できない。裁判官 川上美明)

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